別のページで少し触れたように、私の親は猛反対で、二輪に関して相談なんてできるような考えの人ではありませんでした。100%説得できないと確信していました。もちろん内緒で乗る事に、後ろめたさというか、抵抗がありました。でもわがままな私はどうしても早くバイクに乗りたかったのです。目的などなくても、ただバイクに乗る事に夢中でした。

なにせバレたら勘当モンだと思っていたので、ワル知恵を働かせていました。
軽自動車税の納付書の送付先を無理に変えてもらったり、友達のつてで家に書類が来ないようにして任意保険に入りました。(任意だけは入らないと怖いので)

せっかく根回ししたのに、学生だった当時、学校へ行く途中、43号線で白バイに捕まり一発免停に.。このはがきだけはどうあがいても家に届きます。ここで、「免許をとったこと」は打ち明けなければならなくなりました。
捕まったとき、運転していたバイクの持ち主を聞かれて冷や汗モノだったのを覚えています。

免停講習をうけて、免停は一日で済みました。
やれやれと思ったら、不法駐輪で警察から家に電話がかかってきたのです。警察官の人が
「名義はお宅のお嬢さんなんですが、とても女の子の乗れるようなオートバイじゃないので・・・」
といっていたそうです。母は薄々は気付いていたようですが、まさか自分のバイクまで持っているとは思っていなかったようでなんとかごまかして、切り抜けましたが、ひやひや。

このあと、近くに駐車場を借りて、バイクをとめていました。
警察の人にそうしろと言われたので。

バイクに乗れる事はうれしいかったのですが、毎日ばれないか心配で心配で。バイクに乗るということを悟られないために、真冬でも普通のジャンパー程度しか着ずに走っていて、ものすごく寒かったです。そんな思いをしてまで・・・と思われるでしょうがそれでも乗ることがうれしかったのです。
いつか言わなければ・・・と思いながら、日にちだけが過ぎていきました。
しかし、とうとう運命の日がきてしまいました。当時つきあっていた彼とタンデムでデートしていたら、事故にあってしまったのです。生まれてはじめての交通事故。でも、本当に何も覚えていないのです。「さぁ行こう」と彼がエンジンキーを回して、私が後ろのシートに跨ったところから記憶がないのです。そこからかなり走ったはずなのに。事故は交差点内、対向の右折車(相手)と直進のバイクでの事故でした。(43号線は大渋滞になったそうです・・・ゴメンナサイ)相手は軽いむちうち、彼は左鎖骨、右腕骨折、右足ひび、私は、首の骨折(首の骨折れたら死ぬんじゃないのかーといろんな人に言われた)、肋骨2本骨折と右足ひびでした。二人とも、腕や顔がガラスなどで切れて傷だらけになりました。

気がついても何がなんだか全く分からず、指や腕を縫われていたという記憶がぼーっと残っています。
毎日痛くて痛くて眠れず、かなり辛かったです。首が動かないと、物もとれないし、食事も満足にできないのです。こんな動きにも首を使っていたのかと改めて感じました。

退院してもコルセット生活でもう辛くて辛くて・・・しかも親に内緒でバイクを買ったこともバレ、もう針のムシロ。
でもどこにも逃げられないし、自分で何もできない・・・。あの1ヶ月は地獄でした
なかなか話し合いがうまくいかず、もめにもめました。事故を起こすとこんなことになるのかと、本当に愕然としました。

私のぐしゃぐしゃになったオートバイを処分し、彼のオートバイは眠ったままになりました。彼は前ほど腕を上にあげたり、横に開いたりができなくなったらしく、かなり改造した自分のバイクには乗れないとのことでした。

これからしばらく、バイクには乗れない日々になってしまうのでした。
自分が起こした事故ではないとはいえ、勝手にバイクを買って、好き勝手していた私、とても又バイクに乗るとはいえませんでした。でも、あの一瞬の事故でいきなりバイクに乗れなくなり、とても辛かったです。事故は7月だったので、まだまだシーズン中、アメリカンをみる度にうらやましくて仕方ありませんでした。
冬になれば、まだ気がまぎれました。電車に乗って
「バイクなら死ぬほど寒いけど、こんなにのほほんとしてられる」
と自分にメリットを言い聞かせるようにしていました。去年(2002年)のシーズンは一番辛かったです。
みんな気持ちよさそうに走っている。私はもう二度とバイクに乗れないかもしれない・・・。

でも、あるときふと思ったのです。もう私もいい年になって、本当にしたいことをやりたいといってもいいんじゃないかって。責任がとれるなら。今年はお金をためて、来年のシーズンには絶対に乗る!そう決めると、道行くバイクをうらやましく見て、シュンとなるのではなく、「みてろよ〜」と思えるようになりました。確かに今からでも乗りたいという気持ちはありました。でも、事故の次のシーズンはちょっと言いにくいですからね。(苦笑)
ここへきて、ようやく「さりげなくアピール作戦」を実行しました。また、バイクの話題を少しずつ増やし、興味があることをかなりアピールしていました。そして、思い切って言ってみました。

「私、来年こそ夢があるんだ。車も大好きなんだけど、もう一度、バイクに乗りたいんだよね。」

最初の時はあまり反応がありませんでしたが、めげずにがんばって話しつづけていると、遂に許してもらえたのです。
条件は、うるさいマフラーにしないこと、真夏でも長袖をきること
あんなに反対していたのに、最後のOKはあっけなくて、拍子抜けするほどでした。親も、どうしてもやりたいということには、最後にはうんと言ってくれるはずです。
そしてとうとう、念願のバイクを購入することとなりました。だいぶブランクもあり、不安でしたが、見に行ったとき、
とっても気に入ったのがあったので、思い切って契約しました。

久々にのるバイクにどきどきしました。
久しぶりに風をきるここちよさを味わい、走りながら大声を出したいくらいでした。

今は家族にも理解してもらい、堂々と家の庭に停まっています。もうこそこそ隠れてバイクにのることはないんだと思うと本当にうれしいです。

みなさんも大好きなパートナーに出会うために、近しい人の理解をぜひとも受け取ってください
読んで下さっているゲストさんの中には「どうしてバイクに乗るのにそれほどの修羅場を覚悟する必要があるのか」と思われる方もおられるかと思います。
しかし、うちもそうだったように「バイクに乗る」なら勘当くらいの
勢いがある場合があるのです。
もちろん心配してくれていることは十分にわかるのですが、それが頑なになり、ついには「親不孝」→「不必要な人間」と感じざるを得ないような言葉もなげかけられるのです。

親御さんによっては、ライダーになることを打ち明けることが、非常な勇気を要することがあります。

でも、自分の人生は一度きり。親御さんにも親御さんの人生があるように、私たちにも好きなことをやる権利があります。
ここでは、親御さんの理解を得られずにバイクを断念、もしくは
内緒で乗っている人たちに、親御さんに理解してもらう日が少しでも早くに来るように願っています。

私はどうやってバイクに乗れるようになったか

「車があるでしょう?」と猛反対
あぁ・・・赤切符・・・
こんどは不法駐輪??
交通事故に遭ってしまった!!
事故後・・・
もうバイクには乗れないのかなぁ・・・
心の中で「絶対もう一度乗ってやる!」
バイクに乗るよ
私、バイクで走ってるよ!